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写真を見せるということ2012-07-22(Sun)

Tag : 
KONICA-AUTOREFLEX-T3 HEXANON-50mmF1.4 KodakTri-X  





ポートレイト練習会ではモデルさんを以前から知っているか否かで差が出ました。モデルさんは初めてのモデル役だったので、その緊張感と、知らない人に囲まれる警戒感がありました。以前から知っている人に対しては緊張も警戒もありませんでした。ですから、モデルさんの「いつものまま」が出ていましたし、撮る側はどういう構図でいつシャッターを切るかを考えればいいだけです。私の前では「いつものまま」という訳にはいきません。ですからポーズをつけたり、小道具を用意したりしました。そのほうがいいと思ってやったのですが、結局のところ、そういった準備は私の前にいる君そのままでは全然ダメと言っているのと変わりがなく、自分の世界観を押し付けた結果、薄っぺらな写真しか撮れませんでした。「いつものまま」がいいというのなら、そういう状態になるような関係を作るか、あるいは緊張と警戒があるのなら、それをそのまま撮れば良かったのではないかと思うのです。笑顔が全てではないのです。おびえられたり、にらまれたりしたって構わなかったと今は思うのです。

前置きが長くなりましたが、昨日今日と二つの写真展に行きました。知り合いがいるか否かというのを差し引いても昨日の写真展の方が居心地が良かったです。おそらく展示されている写真の受けは今日の写真展のほうがいいでしょう。実際、多くのお客さんで賑わっていました。ですが、私には息苦しく思いました。その違いはどこからくるのかと考えたのですが、今日の写真展は人がメインの被写体になっているものが多く、昨日のはメインが人というのはありませんでした。この辺に違いがあったのではないかと思っています。

人メインの写真は全部ではないですが、ポーズを付けていたと思われます。それを見ると、パッと見は綺麗にまとまっています。が、私には撮影者の世界観で「こういうのいいでしょ」と押し付けられ、「こういう写真を撮る私って素敵や〜ん」と言っているとさえ感じました。さらに「私を素敵と言え」と強要されているような気までします。綺麗な世界を作ろうとしているのですから、モデルに求められるのは美形であるということだけです。そういう感覚が私には耐えられませんでした。

世界は自分が考えるよりも美しく、そして自分が考えるよりも醜いと私は思っています。
写真を見せるということは、「私の撮った世界はどうですか」と尋ねることだと思います。その世界が自分の作ったジオラマのようなものだったらどうでしょう。「どうですか」と訊かれ、批判したとしたら世界ごと粉砕することになりかねません。傷つけないように「いいですね」としか言えません。

昨日の展示のほうが居心地が良かったのは本物の世界を相手にしていたからだと思います。本物の世界を相手にしているからこそ、美しいものはどこまでも美しく、またこうしたほうがとか、ああしたほうがということも言えるのではないかと。批判したとしても世界は壊れません。広大で強靭な本物の世界に対するアプローチの仕方なだけなのです。

そこに人が立っているのは、木が立っているのと同じように目に見えない歴史があり、理由があります。それが世界を構築しているのだと思います。最初から被写体としてのみ存在しているものなどありません。自分の描く世界と違うからといって引っこ抜いて自分の思うところに移動させてもやはりそれは薄っぺらいものになるでしょう。それでいて批判を許しません。あまつさえ褒めろと言う。それが息苦しいのです。
最近、「撮った私を褒めて」と感じることが多く、私の中の反動として「撮ったのなんて誰でもいいじゃないか」と思ってしまいます。

西井一夫が「写真は窓であり、壁である」とどこかで書いていたと思いますが、今日の展示では壁ではあったかもしれませんが、窓足り得てはいませんでした。

自戒を込めて。


Fc2blog - ジャンル:写真 » テーマ:モノクロ




Comments(4) | Trackback(0) |  Etc

拒否反応 « HOME » 難し過ぎて一回転

Comment

貴重な展評をありがとうございます。「広大で強靭な本物の世界に対するアプローチの仕方」というのは、とても素敵なフレーズだと思いました。なるほど、と。

「ふたり展」についても書いてくださっていますが、わたしもまさに、絶妙な展示形式だったとあらためて感じました。I橋氏もわたしも、おなじ写真家さんの作風が好きというところが一致していました。逆にいうと、一致点はそこしかなく、展示が空中分解するリスクも孕む企画でした。でも、さいわいにも、互いにリスペクトできる作品が出てきましたので、ホッと胸をなで下ろしたのでした。たぶん、「ふたり展」と銘打つなら、もう少し密な打ち合わせをすべきだったのでしょうが、I橋氏もわたしも、それほどスィートスポットが広いタイプではないので、野放図にしていても野放しになる可能性が低かったという見方もできるでしょうか。

「アクリル・フィット」という加工法は、一種の踏み絵になってしまいます。暗室スペシフィックな写真ムラの住人には、「金をかけてガワを繕ってるだけ」というふうに捉えられるリスクがあり、あまり写真に馴染みのない人は逆に、「わ−、きれー」というふうにポジティブに捉えてもらえます。わたしとしては、写真ムラの掟を墨守しようとするヒトとは、うまくコミュニケーションを取れる気がしないので、まあ結果的に踏み絵となっても仕方ないかなと思いつつ、でもやっぱり、残念な心持ちになることはありました。「きちんと裏打ちしてマット加工をして額装」というお作法も「絶対」じゃないとは思うのですけれど。

わたしとしては、「わー、きれー」という、浅いけどシンプルな入り口があっていいと思いました。わたし自身が表現するときも、そこが出発点ですし、できればあまり「重たい価値観」に依存しきるのは避けたいところです。

長々とすみません。また、ゆっくり語りたいですね。ともかくも、本当にありがとうございました。

2012-08-02 20:08 | URL | doca [ 編集]

>docaさん

写真展というものをどのように捉えるかというのは、ずっと気になっているところです。
複数であれば、カタログ的になっても仕方がないと思っているのですが、それでもなお写真展という一つの作品にならないかと思っていました。人数が増えればそれはどんどん難しくなっていくと思います。
そういった前提の中、お二人の展示はとても示唆に富むものだったと感じています。写真展というものに対し少し否定的に思っていた者としてはやり方や、メンバーによって随分刺激的なものになり得るものだと認識させられました。

アクリルの件ですが、私自身はもちろん「わー、きれー」というところが単純にありますが、その綺麗と思う理由としてダイナミックレンジの広さにあるのではないかと思います。モノクロでいえば、無光沢、半光沢、光沢という順にレンジが広がり、特に黒の出が違います。その引き換えに反射、映り込みがあるのではないかと。今回の展示でもレンジの広さを感じました。ブロニカ展でアクリル貼りを一度見ているにもかかわらず、その綺麗さを新鮮に感じて驚きました。それは写真がよりアクリル貼りに適していたこと、アクリルの厚みが増していたことに起因しているのだと思います。

小さく価格が表示されていましたので、一枚購入しようか迷いました。
自分の知り合いに見せたい、これは話だけでは伝わらないと思ったからです。しかしながら、自分の部屋には不似合いなこと、展示を見た私と、その一枚だけを見た人では感じ方が違うかと思って今回は止めておきました。知り合いたちにも出来れば展示そのものを見てもらいたいとも思いました。

またゆっくりお話させていただきたいです。よろしくお願いします。

2012-08-02 22:48 | URL | スライ [ 編集]

(よそ様のサーバで、長々と書き込みするのも良くないと思いつつ・・・)

「カタログ的」な写真展、よくありますよね。ギャラリが募集をかけるグループ展などでも、見かける気がします。・・・それは、ギャラリが設定したしばりが「モノクロ」とか「人物」とか、あまりにも漠然としているからでしょうけど、逆に言うと、それだけ漠然としておかないと、応募があまり集まらないという事情もあるのでしょう。それとは逆に、有機的に場が組み上がる展示というのもあって、たしかにこの後者のケースのほうがより素敵だろうと思います。でも、どうすれば「有機的に」「場が組み上がる」のかと考えると、・・・ムズカシイ。。。

「アクリル・フィット」について、もうひとつだけ思い出したことがあります。それは、あの加工の効果は、いまのところオンラインでは得られないということです。いまはネット越しに精細な画像も観られますし、場合によってはピクセル等倍でさえ、鑑賞可能な場合があります。ギャラリでどれだけ顔を近づけても、ピクセル等倍の条件と同じ鑑賞経験は得られないでしょう。でも逆に、スライさんが書いてらした「水族館にいるような感じ」というのは、いくらPCの液晶画面の手前にガラス面があったとしても、5mm厚のアクリル貼りが実現するそれに匹敵するものはないと思われます。

写真を展示することの意味というものを考えると、ひとまずそれは something new な何かを実現するということだと言えると思います。だとすれば、ふだんのPCやスマホの環境では得られない効果を実現する「アクリル・フィット」は、やっぱり、まだ有効なのではないかしらんと思ったのでした。モノクロであれをやるとどうなるのかなとか思ったりもします。

ところで、スライさんが迷った一枚はどれだったのでしょう・・・?

2012-08-05 23:07 | URL | doca [ 編集]

>docaさん

グループにもかかわらず、写真展が一つの作品になるような展示はとても難しいことだと思います。が、見る側としては単に個別の写真が並んでいるだけでは面白くないです。そういう意味でも写真展を目指す人は個展を志向すべきなのかもしれません。

「アクリル・フィット」はグループ展の際、全員が採用すれば見た目の効果として面白いと感じました。それ故一枚購入をと考えたわけです。
技法が目新しいだけなら、説明をすればいいですし、ネットでも業者のサイトを確認することもできます。しかし、この「アクリル・フィット」の良さは技法の目新しさがメインなのではないと思っています。私が感じたのは言葉にするならば「広がり」でしょうか。私が行った展示はマットを切り、額に入れました。それを3×3にしたわけですが、もちろん私としてはそれを意図していましたが、バラバラのものが展示方法により一体化するようなものにならないかと。しかし額では境界が強過ぎました。
一方、アクリルでは額の枠がありません。画像の端がそのまま作品の端です。それが閉じ込められた感じがしないというか、広がりを感じるのです。私はマットの幅を大きめにとることでその広がりをイメージしましたが、比べると足りません。この広がりは5mmの厚さになったことでさらに奥行きにも感じられます。

上下左右の広がりは作品と作品を響き合わせると思ったのですが、奥行きはそれぞれの作品の独自性を維持することに役立つと思います。故にグループ展を考えている友人たちには効果的なのではないかと考えました。

私が購入を検討したのは、一枚目のと、あの高速バスのです。
私だけが鑑賞するなら高速バスですが、他者にアクリルの深みを知らせるには一枚目の写真の方が分かりやすいかと思いました。

2012-08-06 07:43 | URL | スライ [ 編集]

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