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ウッドデッキに一人2009-10-14(Wed)

Tag : 
KIEVII Jupiter-850mmF2.8 DNPCENTURIA200 Song 

『休日』
KIEV II
Jupiter-8 50mm / F2
DNP CENTURIA 200
先日行った写真展で、出展者と話していたら、「ここで音楽をかけるとしたら何にする?」という話になった。その人はとても音楽好きで、その会場に音楽が流れていないのが不思議なぐらいだったので、なんでかけないのかを聞いたら、この話になった。

展示に音楽が必要か否かはおいとくとして、真っ白い壁で真四角の会場ではちょっと殺風景に感じたのも事実。写真に集中できるとも言えるけど、足音までがカツンカツンと響き、むしろ気になるぐらいだった。

音楽をかけていなかったのは、合う音楽が思いつかなかったということらしい。その人はアンビエントとかを聴くので、それなら大抵合うんじゃないのと思ったけど、しっくりこなかったとのこと。

「私だったら・・・」
好きなロックやブルースをかけたいところだけど、ここだったらクラシックにすると答えておいた。音色的に一番好きなチェロの曲にするかな。





クラシックのことは全く知らないけど、チェロの曲となれば、バッハの無伴奏ってことぐらいは知っている。そこでYouTubeでいろいろ聴き比べると、このおっさんのが一番好みに合います。

Fc2blog - ジャンル:写真 » テーマ:お散歩写真




Comments(2) | Trackback(0) | KIEV II Jupiter-8 50mm F2

君をモデルに一枚いいかい? « HOME » 綺麗だね

Comment

ギャラリがホワイトボックスになっているのは、
絵画や彫刻が「お芸術」として整備された、
近代以降(フランス革命以降の啓蒙思想)の価値観に拠りますね。
むかしは「お芸術」以前に、絵画や彫刻だったわけで、
それらを必然的に「使用」する人たちがいたのですけど、
いまは「お芸術」だから「鑑賞」しなければならず、
だからホワイトボックスが一番適切だということになってます。

写真は「お芸術」の地位が固まったあとに、
「ぼくも入れてー」と自分から「お芸術」の枠に入っていった節があって、
絵画や彫刻よりも、よりいっそう、
ホワイトボックスから解き放たれるのが難しい状況な気がします。

(だから一方で、篠山紀信みたいな、
 週刊誌を主戦場にしている写真家は、
 すごく先見の明がある気がします、わたしは)。

でも、ギャラリの鑑賞形態に意義を唱えて、
いろいろ試行錯誤するのはおもしろいですよね。
音楽とか、他の表現形態とぶつけるのはその最たる手段だと思います。

長々と失礼しました・・・。

2009-10-14 00:34 | URL | どか [ 編集]

なるほどっ! そういうことでしたか。

実はあまり美術展や写真展を見にいかないのは、
行くといつも居心地の悪さを感じていたからなのです。
「使用」から「鑑賞」への変化がどうも私には居心地の悪さへと繋がっているように思われます。
これまでは私が芸術を理解できないからだと思っていました。

「使用」であれば、その必要性があり、また使用条件もあると思います。
ホワイトボックスではその必要性や条件を排除することで「鑑賞」ということにしていると思うのですが、
必要性を失ったものにそれほど惹かれません。

しかしそういった必要性や条件から切り離すことで、
「お芸術」としての権威を獲得している(見せかけかもしれませんが)と思います。
その権威に対して後進の写真は憧れや引け目を持っているのかもしれませんね。
そのために強固な呪縛にとらわれているのではないでしょうか。

その権威を求めず、必要とされているところにきっちりと写真を届けている篠山紀信はさすがですね。

私がもっとも感動したのは、通学電車の中、雑誌に掲載されていた写真を見た時でした。
身の回りのことで様々な迷いがあったという心の状態も合わせて、
その場、その時、その形態が最上のギャラリーであったのかと思います。

2009-10-14 07:09 | URL | スライ [ 編集]

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